ストレスが悪者にされた
車を手放してから半年になります。
移動は、自転車や、徒歩、バスや電車を利用して移動しています。
今までバスは、休みの日の飲み会に参加する時くらいしか使ったことがありませんでした。
バスを利用すると、私の家の前のバス停から出る分にはほとんど時間のズレがありません。
そして、到着時刻も同様にほぼ正確です。
お恥ずかしい話、車で移動する時よりも時間に正確になりました。
乗車が遅れると、確実に遅刻するということでもありますが。
そして移動時間に、読書をすることが多くなりました。SFばかりですが。
さて、ケリー・マクゴニガル氏の著書
の第2章に入りました。
この章の最初の方で、悪者にされたストレスの話が進んでいきます。
もくじ
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歴史
内分泌学者の実験
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目的 ホルモンがどのような影響を与えるかをネズミを使って調べる
- 1963年、ハンガリーの内分泌学者ハンス・セリエ氏の実験
実験
- 雌牛の卵巣から採取したホルモンを実験用のラットに注射した
⬇︎結果
- 出血性潰瘍ができていた
- 副腎が腫れ上がっていた
- 胸腺や膵臓やリンパ節などの免疫系はことごとく縮んでいた
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つまりは病気になってしまったということです。
対照実験も行っていて
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実験
- 何匹かのラットには食塩水を注射
- 別のラットには雌牛の胎盤から採取したホルモンを注射
⬇︎結果
- どちらのラットも前回の実験と同じ症状が現れた
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雌牛の肝臓や秘蔵の抽出物でも試したところ同様に、病気になりました。
結局何を注射しても病気になってしまいました。
そして、セリエ氏は「何を注射しても病気になる。これは、注射の中身が原因ではなく注射の苦痛が原因では?」と考えたと言います。
そこで、様々な苦痛を与えた実験も行いました。
- 極度の暑さや寒さで苦しめる
- 休みなしに運動させる
- 騒音で驚かせる
- 脊髄を部分的に切る
- 毒性の薬品を投与する
など
⬇︎結果
すると、48時間以内に
- ラットの筋肉は正常な緊張を失った
- 消化器潰瘍が発症した
- 免疫不全が起きた
- 最終的には死んだ
と言います。
そして、セリエ氏が「ストレス」という言葉を使って、
- ラットに苦痛を与えた行為
- ラットの体に現れた反応
を指す用語として使うようになりました。
セリエ氏は内分泌学者になる前には医師でした。カラダのひどく弱った患者をたくさん見ていて、
- 食欲不振
- 熱
- 倦怠感
と本来の病気とは関係ない症状が見られました。この症状をセリエ氏は「疾病症候群=シックシンドローム」と呼んでいました。
内分泌学者になって、過去を振り返った時、
「患者たちは、ラットと同じように苦痛を味わったことで疲労が蓄積して、体が衰弱したに違いない 」
と結論 付けました。
ケリー氏は「そこからセリエ氏の思考や大きく飛躍した」と次のように述べています。
ここで、セリエの思考は「ラットの実験」から「人間のストレス」へと、大きな飛躍を遂げたのです。アレルギーから心臓発作まで、人間を悩ませるさまざまな病気は、実験でラットの体に異常が表れるまでと同様の経過をたどって発症する–––––セリエはそう仮説を立てました。
とはいえラットから人間への飛躍は、あくまでも理論上のことであり、実験結果にもとづいてはいません。セリエは長い間動物実験を行っていました。しかしやがて、「人間の場合ならどうか」と考えずにはいられなくなったのです。………………
もう一つ、私たちの考え方(=マインドセット)を決定づけたことがあります。それはストレスを
「ストレスとは外部からの刺激に対する体の反応である」
と定義づけたことだとケリー氏は述べています。
この定義からしたら、ラットを使った過酷な実験は当然当てはまります。加えて、日常的な出来事に対する反応までも含まれます。
セリエ氏が、このような広範囲な定義をしたことで、
ラットの実験で行った過酷な実験と同等に、「日常的に起きていることに対する反応まで、現代人にとって恐怖の対象となってしまった。」とケリー氏は分析しています。
セリエ氏を悪者扱いにしたくはないのですが、まだ続きがあります。
続きは、次のブログで。