体力の限界
ケリー・マクゴニガル氏が
その著書
スタンフォードの自分を変える教室 [ ケリー・マクゴニガル ]
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で紹介した、とても興味深い実験があります。
でトライアスロンに初めて参加した女性の話を紹介しています。
その女性は、調子よく、スイム3.9km、自転車180kmを終え一番得意のラン42.195kmに入りました。
ランも折り返し地点までは絶好調。
ところが折り返し地点で、急に疲労が襲ってきます。
両肩の痛み、足のマメ、カラダ中が痛みます。
自分に語り掛けます。
「もう走れそうにない」
と。
脚の今まで経験したことのない疲労。脚はもう言うことを聞きそうにないほど激しく疲れていました。
でも脚は動いていました。
何度も
心の中で「これ以上無理」に「でもまだ脚動くじゃない」
を何度も繰り返し、
ただ、「右足の前に左足を出して、左足の前に右足を出して、…」を繰り返し、とうとうゴールにたどり着いた。
という話です。
これまでの運動生理学者たちは、疲労は、筋肉がエネルギー切れになったと説明しますが、理論的には筋が通るものの、それがこのような女性には当てはまりません。
これに関連した研究が行われていました。
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ケープタウン大学の運動・スポーツ科学のティモシー・ノークス教授はそれまであまり知られていなかった、ノーベル生理学者アーチボルド・ヒルの1924に発表した理論ー
「運動によっておこる疲労は筋肉疲労によって起きるのではなく、脳の中にある慎重なモニターが、極度の疲労を防ごうとして起きるのではないか」
という理論に興味を持っていました。
ノークス氏が数名の仲間とこの理論を検証しました。
競技中の極限状態にあるアスリートのカラダで実際に何が起きるかを検証するというのです。
検証の結果、筋肉には生理的な不具合は何ら認められませんでした。
(「スタンフォードの自分を変える教室」P117要約)
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面白いですよね。
「もう脚パンパンでこの階段上れない」
「もう限界、ベンチプレス(仰向けになって錘のついたバーを両手で上げ下ろしする胸の筋肉の運動)もう1回もできない」
と感じても、脚の筋肉、胸の筋肉には生理学的にはまだ何の不具合も起きていないというのです。
たいていの人は、疲労を感じると、「カラダがもう動けないと言っているサイン」と解釈しますが、実際には、脳が「筋肉に十分に余裕があるうちに、警告を鳴らす」ということをしているようです。
トレーニングを積んだアスリートはこのことを経験上よく知っています。
最初に疲労が襲ってきても「実際に限界が来たわけではない」ことを良く知っていて当然のごとくその疲労をはねのけることができます。
日頃、上記の女性と同じような疲労を感じることは少ないかもしれません。
たまに行く、山歩き、お正月の神社の階段、旅行先での長い階段、始めたばかりのジョギング等で近い感覚を感じた経験があるのではないでしょうか。
今から、運動を始めるという方には、起こりがちな「自分の体力の限界」を感じる疲労。
脳が感じていることと、カラダ、とりわけ筋肉で起きていることの違いを知っておくと、疲労を感じた後の対処が変わってきそうです。
今日のブログは生理学的なことを書きました。
当初、「意志力」について書き始めました。
「結局、苦しいアスリート並みのトレーニングをしないと意志力は鍛えられない、ってこと?」
と質問が来そうですが、続きがあります。
科学者の中には、意志力は体力と同じようなものと考える方がいらっしゃるようです。
「体力の限界があるように、意志力にも限界がある。
(前述の実験のように)実際には意志力にはまだ余裕があるのに限界を早い段階で感じてしまう。」
というのですが、続きは明日のブログで。